なぜ自分で考えることが大切か
私の受験生の時代、先生がいうことをあたかも神様の言葉みたいに考えて、その通りにやっていれば受験で成功する… みたいな。
周囲は大体こんな感じでした。
この場合、先生が教えているやり方にがっちりはまった人は結果が出ます。しかし、その他の人は、結果が出ないばかりか自分自身で考えていなかったために、うまくいかなくなるとそこで行き止まりです。
つまり、思考停止。
そういう時に限って、できる人に「どうやってるの?」と聞きたがる。
負のスパイラル発動。
この場合、他人の意見を聞くな。参考にするなというつもりは全くありません。
自分で分析がまず必要でそのあとできる人に助言を乞うほうが断然時間の節約にもなるし自分にはまる勉強法を見つけやすいと思います。
例えば、
「日本人は、文法に固執しすぎ。そして、早期習得のコツは読書である。多国語を操る外国人も同じやり方をしているから間違いない…」
こんな意見を持っている人もいます。
この意見が間違っているとは思いません。が、しかし、私にとっては間違っています。
私は文法が好きです。そして、多くの日本人の方が文法を基に外国語を勉強するシステムになれていると思います。
また、私は、読書が好きですが苦手です。一冊を読み終わるのに果てしない時間を要します。
さぁ、こんな私にとって、文法をできるだけ考えないようにし、日本語の本ですら読めないのに外国語の本を読書することが外国語習得への最も近いやり方だと考えられるでしょうか?
そうである可能性も否定しませんが、それ以上に私が途中で挫折する可能性の方がもっと高いことは明らかだと思いますし、自分のやりたい事 [want]であるはずの語学学習が一瞬にして苦痛に変わっちゃいますよね。と同時に、習得率、かかる時間にも大きな影響を与えるはず。
上に挙げた例の方は、おそらく本を読むのが好きなのでしょうね。また文法に縛られていないのでしょう。
つまり、人の好みが違うように、それぞれの人に適した学習法も異なるということです。
長々と、書きましたが、要するに、自分に適した勉強法は自分が一番よく知っているということです。それを導き出すためにまず自分をしっかりと分析し、どんな勉強法が好きなのか自分に合っているのかを考えなければいけません。
そして、少しでもそれが自分でイメージできるようになったら、ソーシャルメディア、先生、友人、先輩あらゆる人から意見を聞き、そして自分に合っていそうなものをやってみる。そして、少し違うなと感じたら改良・変更をしてみる。そうすれば自然と自分に合った学習法が見つかるはずです。
なので、皆さんも、何が好きで、自分に合っているか、何が嫌いで、自分に合っていないかよく考えてみてください。