システムを制する者は語学を制す?
いきなりですが、言語とは、「単語が文法というシステムの中にはめ込まれたもの」なのではないでしょうか。
例えば、「I saw my friends running around the beach」という複数の単語が
S(主語)V(述語)O(目的語)C(補語)という文法のシステムにはめ込まれることによって、文章が成立するということです。
つまり、文法と単語さえ勉強すれば、ある程度外国語を扱いやすくなるのではないでしょうか。
少なくとも私はそう考えています。
私は、外国語を扱う際、このシステムである文法にかなり比重を置いています。
だから、私が外国語で会話をするとき、文法が正しく使いこなせているかどうか、ものすごく気になります。そして、時にはその使い方が正しいかどうか、ネイティヴの人や外国語の先生に何度も聞いてしまうほどです。
おそらく、私のようなシステム(文法)に支配された外国語学習者は、ここ日本にたくさんいると思います。(受験の名残ですかね。)
文法の使いこなしを過度に気にしてしまうがために、会話中の文構成にとても時間がかかってしまうのです。そのせいで、話に入るタイミングを逃したりすることもしばしば…
しかし、私自身は今のこのスタイルでよいと思っています。
逆に、無理に学びのスタイルを変えてしまうと、かえって外国語のマスターに時間がかかってしまうのではないでしょうか。
むしろ重要なのは、自分が慣れたやり方の熟練者(プロ)になることなのです。
一見、この文法を気にしながら会話をするというスタイルが、非効率的にも見えたりするかもしれません。
しかしこの方法で、はじめは自分の言いたい事を発言し終えるのに10秒かかっていたとしても、それが5秒、さらに早くなれば、ネイティブ話者のスピードについていけるのではないのでしょうか。
これが私の言う、「自分の方法の熟練者になること」です。
皆さんも自分の特徴を分析(自分で考察)し、外国語の能力を伸ばしていく方法を考えてみてはいかがでしょう。